アルボムッレ・スマナサーラ氏, 養老孟司氏の希望のしくみ

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以前、渋谷でアルボムッレ・スマナサーラ氏,と養老孟司氏の対談をききにいった
ことあります。ユーモアもあって楽しかった講演会だったと記憶しています。
お二人の発言、いろいろ考えさせるものがありますね。

また、スマナサーラ氏が語るブッタと中村元氏が語るものと共通点が
たくさんあります。おそらく、ブッタの教えはスマナサーラ氏と
中村元氏が語る内容が真実かもしれません。
中村元氏の本を読みながら考えたこと。

仏教の本質 哲学者「中村元」

お釈迦様が説いたのは真理です。真理は誰が語ってもいつの時代でも
変わらないものなのです。お釈迦様は真理を提示して、自分で
調べなさい、確かめなさい、研究しなさい、という態度で教えたんです
私を信じなさいとは全く言ってません。

一生をかけて心を高めていくんです。これこそ仏教が伝えなければ
ならないことなんです。

他人の幸せを考えて行動する。すると他人も自分を攻撃してこないからね。
いたって論理的でしょう?

問題が起こってガチャガチャ言うなんて、そんなのは
どんなバカにもできることですよ。知恵があるならば、
問題が起きる前に察知できるんです。

いま、知識だけはみんなもってます。けれどはっきりいえば、
知識なんて気持ち悪いものなんですね。生のチキンみたいなものだから。
それで料理の仕方を知らないと、チキンを目の前にして、どうしよう、
どうしよう、と途方に暮れちゃうんです。
自分で答えを出せないんです

得体の知れない誰かの言葉を、最終回答だと信じているんです。
自分の頭で考えることを放棄してね。

そもそも、生きているということは、一寸先はわからないということ。
お釈迦様の言葉で言えば「一切は無常である」となる。これは
真理なんでせう。すべては常に変化しているんです。
だから考えたようになるわけがないんですよ

わるいとことをしてかまって欲しい。相手をしてもらいたんです。
いいことをしてかまってもらう、とう気持ちがない。
ああいう年寄りを日本は量産しているような気がする。養老毅

ヴィパッサーナ瞑想

意識も無我ですよ。われわれが、いまあると思っているものは
全て変化してしまうので変わらない実体はない、という意味で
無我というのです

だから、デカルトが「われおもう、ゆえにわれあり、
思う事はつねに変わる、ゆえにわれは常に変わる」と言えば
仏教は反論しないですんだと思いますよ。

現実を受け入れたら苦しみはないですよ。

幸福も不幸もすべて相対的で、あてにならない概念でしょう。

自分ができる肝心な事には価値を感じないんですよ。
あなたにとって一番つまらないことをやってみたらどうですか?
それには才能があるんですから、というんです

すべては無常。心も体もその他の物質も、すべては固定したものでは
なく、瞬時に変わって流れている、というのがブッタの立場です







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