本山 博氏の霊の研究、人生の研究

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真剣勝負ではないような瞑想なんて何の意味もないんですよ。

般若心経でも、唱えているときには、般若心経の声になること。
ひとつになりきらないと、いつまでたってもちっちゃな自分の枠から
外には出られない。善人でも悪人でも駄目なんです。人間という枠を
超えないと駄目。

末那識と阿頼耶識が全部壊れてしまわないと神様のところへは行
けないんです。

経絡の気のエネルギー

高い次元の霊の世界では個性というものはない。それは全体を包む
存在なのです。

霊は水蒸気のようだとイメージできると思います。
氷の状態というのは今の人間みたいなものかもしれないですね。自分
のことばかり考えてカチカチだからね。水の状態は氷に比べると柔ら
かさがある。そこから空気のようになるには、熱が必要ですね。熱が
ないと水は水蒸気にならない。

水の場合は風が吹いたら波が立つ。氷のときにはなかなか動けないで
すね。水蒸気になったら自由に動けますけれども、水蒸気が水蒸気で
あることをやめようと思えば、水にも氷にもなれますね。氷になって
氷を助けることもできるし、水になって水を助けることもできる。
それと同時に水蒸気でもいられる。この水蒸気の状態というのが、
個性を持たない魂の状態です。氷は氷、人間は人間というのではなく
て、自分を否定すれば次々に下へ下へ降りて行き、いろんな
人を支えて生かすことができる。

仏教と土着の神様が両立することが、本地垂迹説 です

死んだ霊がどうなっているのかという死後の世界の様子を知らな
いまま靖国神社の問題を論じても、霊は救われないということです。

もしある考えに落ち込んでしまって、どうしてもこれ以上のことが
信じられないというようになったら、それは自分でそういうカルマ
をつくってしまっているんです。カルマというのは、ある意味では
枠のようなものです。枠をつくっているということはそれから進歩
しないということですね。そのような枠を作ったために、いろんな
問題が起きてうまくいかなくなることがある。しかし、うまくいか
なくなったときにはじめて、これを超えていくにはどうしたらいいか
と考えることができる。そこで、今までいろいろ問題が起きたのは
カルマを浄化するひとつの過程であると気づいて、新しいやり方、
新しい方向づけがわかったとしたら、そこで霊的な成長が起きたわ
けです。

脳の中では、意思が生じてから脳の中で電磁場の変化が起きるのです

神様は、自分に枠があったら枠の中でそれが成り立つように働いて
くださるけれど、枠がなくなったらいつでも神様のところに行ける
んです。だから自分を忘れるほど夢中になれる人は、ものができる人
ですよ。

すべてを神様に任せて自分の役割を淡々と果たしていけば、必ず霊的
成長が起きているんです。一生懸命に自分のするべきをする。いつも
真剣に取り組んでいれば、それでいい。そういう心がけで生きていけ
ばいいですよ。そうすればこの世界でも成長できるし、
霊性も高まるんですよ。




本山 博氏のスピリチュアルの真実







本文」

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