村上和雄氏のサムシング・グレートの世界

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数年前、sharpの奈良の天理に通っていました。

天理の駅からsharpへ行くときには天理教の
本山みたいなところを通るのです。

確か、村上和雄氏は天理教信者だったので、
タクシーの運転手に伺ったところ、たまに講演
しているとのことでした。

村上和雄氏のサムシング・グレートの世界に思いを馳せながら
移動したことを思い出しました。

いい仕事をする人、すぐれた成果をあげる人は、謙虚で控えで、日が当たろうが
当たるまいが、いばることなく、くさることなく、自分の信じた道を尺取り虫
みたいにコツコツと歩む。

一生懸命やれば天が悪いようにしないだろうと、という安心感に近い気持ちが
ありました。私は、自分のしたことの結果については「天にまかせる」という
思いが強い人間で、きっかけはどうあれ、こうしよう、そうであろうと懸命に
努める人間を神が粗末に扱うことはないだろうという確信がありました。
それが私の楽天性の源になっていたのです。

人間の頭で「こうしたい、ああいうことができればいいな」と想像できる範囲の
ことなら、私たちはそれをすべてできる可能性をもっていると私は考えています

敵と思えるような相手に出会ったら、それを忍耐や寛容を与える修行だと
考えてみてください。そのように考えると、敵は私たちの師であり、先生だと
いえます。敵はとてもありがたい存在なのです。人生の苦しい時期は、有益な
経験を得て内面を強くする最高の機会なのですから。

生物は何故「必滅」なのでしょうか? その目的論的な答えの一つが、
次の世代を生かすためというものでした。もう一つ、原理的な答えを考える
とすれば、私は私たちの体が借り物だからだと思います。死はその返却期限が
きたということなのです。

目に見えるものだけを信じあるあまり、目に見えないものは「存在してない」
と切って捨てないことです。生命思考の観点からは、命にとって大事なもの
ほど目に見えないかもしれないーそうした想像力の余地を残しておくことは、
私たちの思考に幅や余裕を与え、生や命を充実させてくれるはずだからです。

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